問いと向き合う: 14歳からの哲学と今を生きる感覚
生きるってなんなんだろう?
宇宙ってどうなってるんだろう?
なぜ皆、大学に行くの?
なぜ皆と仲良くしないといけないの?
なぜ私はこんな風に感じるのだろう?
ひさしぶりに「14歳からの哲学」という本を思い出しました。もう、亡くなられていますが池田晶子さんが書かれた本です。初版が2003年なので私が27歳の時ですね。14歳からはだいぶ離れていましたが、何か答えが知りたくて何度も読んでいました。
そしてある日、東京の神保町にある三省堂でサイン会があるとのことで1人で行ったのですが緊張しましたね〜。透明度が違うというのでしょうか。笑
人間離れした存在感。
哲学者ではなくご本人は文筆家と仰っていましたが。池田さんが亡くなられたのが47歳の時なので私もその年齢を追い越しましたね。
忘れられない哲学者(文筆家)です。
その周りの哲学界隈の人たちの本も読みましたが、池田さんが1番しっくりくる感覚でした。
さて、この本を読んで答えは見つかったのか?と言いますと。うーん。
そもそも答え書いてないですからね。
自分で考えなさいと、更に言われたような。笑
答えを出すと言うよりも、問いと一生向き合っていくのかなと今は感じ始めています。
いろいろ考えが出てきてしまうのは仕方ない。
若い頃はこれが結構キツくて、なぜ私はいつまでもこんな事を考え続けるのだろうか?と少しの楽しさと、かなりの苦しさと入り混じっていました。
めんどくさいなーとも思っていました。
普通に楽しく生きたいんですけど、それを許さないこの頭の中の問いみたいな感じでしょうか。
サーフィンやっていてもどこか別の何かを探している感じ。
それこそ今に集中するなんて至難の技です。
そんな自分を今に集中できていないからだ!と
また自己否定するというループも繰り返しつつ。
もしかしてこれは趣味なのかも知れないとう視点を持ってみることにしました。
趣味の1つだと考えてみるとそんなに悩む必要もなく、社会生活を送りながらそんなことをボッーと考えることもできるようになってきた。
そもそも答えってあるの?
ってところなんですよ。
答えを探そうと思えば見つからない。
答えなんてないと割り切ることもできない。
じゃあ、どうする?
今を生きる。
今できることをやる。
問いが出てきたら「よしよし」と頭を撫でてあげる感じですかね。
お〜、よく出てきた!
これ趣味だから。
真剣に向き合っても深刻になる必要はない。
問いは問い。
お腹空いてると何を食べても美味しいな〜と言う幸せを感じること。
そして、生きるって不思議で面白いな〜と感じること。
空って綺麗だな〜と眺めること。
所謂答えとはその時その時で変わっていくのかもしれませんね。
これすらも諸行無常でございます。笑
答えのないものと向き合う力。
自分で考え続ける力。
疑問を持つこと。
絵を描きたくなるのも今を感じるからかも知れないな。
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