アンリ・マティス「生きている喜び」を描いた画家
第2回もしゃ会「マティス」
アンリ・マティスは色の魔術師と呼ばれており色使いの鮮やかさが特徴です。
ここで疑問です。
初めからそうだったのでしょうか?
1869年マティスは雑貨屋の長男としてフランスで生まれました。
父親の勧めで法律家を目指し、法律事務所で働き始めます。
その間に、体を壊し長期療養中母親から絵を勧められそのうち描くことに興味を持ち
法律事務所をやめ美術学校へ通い始め美術の道へ進みます。
カンディンスキーも元々は法律家だったので論理的な考え方の人が絵に興味を示す、そこの
つながりが面白いと感じます。私が言語化(左脳的)なほうにも興味を持ったこととつながりがあるのか。自由研究として調べてみたい課題となりました。
そして
「読書する女性」1895年
国民美術協会のサロンに初出品し、国家買い上げされています。
初めはアカデミックな絵を描いていたマティス。
壁紙描き方のの繊細さや棚の上に乘っている花瓶などもとても丁寧にしっかりとした重厚感で描かれています。
その後、次第にポール・セザンヌ、ポール・シニャック、フィンセント・ファン・ゴッホ 、ポール・ゴーギャンら後期印象派の影響を受け、自由な色彩による絵画表現を追究するようになります。
「豪奢・静寂・逸楽」1904年タ「イトルはボードレールの詩集「悪の華」の詩の一節現実の海岸の光景と架空の裸婦群像を組み合わせたもの。
色を重ねずキャンバスの上で隣り合わせに絵具を置くことで遠くから見たときに色が混合して見えるような視覚効果があります。
「帽子の女」
大胆な色彩を特徴とする作品を次々と発表し、モーリス・ド・ヴラマンク、アンドレ・ドランらと共に野獣派と呼ばれるようになります。
それも1905年からの3年間ほどのみ、マティスは野獣派といわれることを嫌いその後は心地の良い先品を描くようになります。
『私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい』という言葉を残している。
晩年は体力の衰えとともに油絵から切り絵へと表現を切り替えていきます。
20点の作品と文章を書いた「ジャズ」という作品集が有名です。
マティスほど作品のテイストが変わっていった画家はいないのではないかと思います。
そして、「生きる喜び」をテーマとしていること。
マティスの色彩からも生きていることを楽しんでいる様が感じ取れます。
さて、もしゃ会の様子を書こうと思ったらマティスの紹介になってしまいました。
次回に続きます。
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