【別冊】日常とアートをつなぐクレヨン

メルマガ発行の日ではありませんが、クレヨンで描くということについて今一度考察してみました。
絵筆を再び手にしてから七年の月日が流れました。一筆一筆の間に、時折画を置いて生活の他の部分に目を向けた時期もありましたが、クレヨンとの連なる糸は、断たれることなく今に至ります。何故筆を取るのか、その理由はいまだにつかみどころがありませんが、その疑問に対する答えは笑いと共に、そっと横に置いてあります。
 
描くという衝動に任せて、無闇に理由を求めることなく、私はキャンバスに向かい続けてきました。
 かつては目に見える理由を求めていたのかもしれませんが、今は理解しています。
 絵を描くことは、日常の風景に溶け込む行為なのだと。しかし、時にはその軌道がずれ、未知なる圧倒的な作品を生み出さなければならないかのような、根拠のない重圧を自らに課してしまうのです。
 そんな奇妙な圧力の淵に、時折足を滑らせてしまいます。笑。
最近、私は思いに任せてクレヨンを手に取り、その原初的な魅力に再び目覚めました。それは、純粋な創造の瞬間へと立ち返るような呼び声を感じ取ったからです。クレヨンのシンプルながら深い表現力に心惹かれ、これからもその色彩豊かな世界を探求し、作品を増やしていこうと思いました。
 
クレヨンの素朴な質感は、その野暮ったさから感じ取れるものです。それは手の中で温もりを帯び、指先に触れるたびに創造の営みを思い起こさせます。クレヨンを握るその瞬間、単純な色彩を超えた生活の本質と繋がるのです。
クレヨンはその使いやすさと豊かな色彩により、感情を表現するのに非常に適しています。子どもから大人まで、直感的に感じたことを自由に描くことができます。クレヨンは筆圧によって色の濃淡を簡単に変えることができ、感情の強弱を表現するのに役立ちます。この手軽さが、日々の暮らしと絵を描く営みの間の隔たりを優雅に溶かし去っていきます。
こうして感覚的なことを文章に変えてみると、また違った景色が見えてきます。
 余談ですが、手が汚れるのが嫌な時は100均で売っている透明な手袋を使っています。
 
 
というわけで本日は別冊版をお届けいたしました。
 お読みいただきありがとうございます。
 ではまた〜。

0コメント

  • 1000 / 1000